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須崎鍋焼きラーメン(高知県須崎市) 50年近く守られ、愛されている須崎の食文化「鍋焼きラーメン」

須崎鍋焼きラーメン(高知県須崎市)

高知県須崎市

Tags: すまき, たくわん, ちくわ, ねぎ, 四国, 日本, 生卵, , 須崎, 高知県,


須崎鍋焼きラーメンの特徴

“1:スープは、親鳥の鶏がら醤油ベースであること
2:麺は、細麺ストレートで少し硬めに提供されること
3:具は、親鳥の肉・ねぎ・生卵・ちくわ(すまき)などであること
4:器は、土鍋(ホーロー、鉄鍋)であること
5:スープが沸騰した状態で提供されること
6:たくわん(古漬けで酸味のあるものがベスト)が提供されること
7:全てに「おもてなしの心」を込めること!”

 

須崎鍋焼きラーメンの歴史

“頑固で寡黙な谷口兵馬(たにぐちひょうま)さんは、戦後間もなく須崎市街の路地裏に「谷口食堂」を開業しました。戦後の食糧難の時代でしたのでラーメンの食材は、須崎周辺で調達できるものに限られていました。トッピングに使われている「ネギ」、「玉子」、そして昔から食べられている「ちくわ」など、比較的庶民でも手に入りやすい食材でした。スープについては、たまたま「谷口食堂」の斜め前が鶏屋「かし○(かしわ)の吉村」だったことから、そこで分けてもらった鶏ガラや、廃鶏を使ったスープが作られました。その流れからチャーシューの変わりに、鶏がトッピングとして用いられるようになったと言われています。

須崎市は、木材の町としても盛えた町で、安価で手に入るおがくずを燃やし、スープを炊いていたそうです。(当時はガスもあまり普及していなかったようです。)しかし開業当初、丼に入った普通のラーメンは存在していましたが、メニューには「鍋焼きラーメン」の文字はありませんでした。出前をはじめるのを機に、主人の心遣いからラーメンが冷めないよう、ホーロー鍋を使うようになったことから鍋焼きラーメンは誕生しました。

数年後「谷口食堂」の2、3軒隣の「みつだ食堂」でも鍋焼きラーメンがメニューに加えられ、「谷口食堂」がホーロー鍋を使ったのに対し、こちらは冷めにくいということで土鍋を使いました。さらにその数年後「水野食堂」という店でも鍋焼きラーメンがメニューに加えられ、この3軒(現在は全て閉店)が「須崎鍋焼きラーメン老舗御三家」となりました。昭和30年代、鍋焼きラーメンの事を須崎の人たちは「ぽこぺん」と呼んでいましたが由来は不明です。当時の麺は、高知市の「上海軒」という製麺所から仕入れていました。

その後、鍋焼きラーメンは須崎中で評判となり、当時谷口食堂の前にあった銭湯「衛生湯」の帰りに鍋焼きラーメンを食べることだったようで、鍋焼きラーメンはまさに路地裏から生まれた食文化なのです。また当時は、夜遅くまで開けている店がなく、若者のたまり場ともなっていたそうです。しかし「谷口食堂」は昭和50年にご主人が亡くなったのを機に、奥様がその後受け継がれていたが昭和55年、惜しまれながら閉店することになりました。

谷口食堂の閉店後、「いまだにあの味を忘れられない」という熱狂的なファンが数多くおり、当時、食堂で青春を過ごした若者世代があの味を復活させようと立ち上がりました。「なかがわ」「橋本食堂」「下元食堂」など、徐々に鍋焼きラーメンを提供する店が増えていき、そして平成14年1月には須崎商工会議所が「鍋焼きラーメンプロジェクトX」発足、高知市内にも鍋焼きラーメンを扱う店が出現。現在では約40軒あまりのお店が鍋焼きラーメンを提供しています。

須崎商工会議所では平成14年9月、伊野町からの高速道路が延伸するのをきっかけに、全国的にも珍しい「鍋焼きラーメン」を大々的にピーアールして、地域活性化の起爆剤にしようと考えました。そこで商工会議所は『須崎名物鍋焼きラーメンプロジェクトX』を発足させ、須崎市内で鍋焼きラーメンのイベントなどの開催を計画し、経済波及効果をもたらす事業を展開。

またアンパンマンで有名な漫画家、やなせたかし氏が『鍋焼きラーメンプロジェクトX』の趣旨に賛同し、鍋焼きラーメンのキャラクター「なべラーマン」が誕生。また、須崎市の新荘川で国内最後に確認されたニホンカワウソも「カウちゃん」として同時にキャラクター化となりました。”

引用:須崎鍋焼きラーメンプロジェクトX

鍋焼きラーメンなう
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